覚え書き


2019年の12月、展示の準備をしている時に、あぁ、もしかしたらこれから先雪が美しいなんて言えない時代が来るかもな、ということが頭をよぎった。雪が綺麗だなんて思う最後の世代になってしまうかもと。

展示会場で設営している時も、展示中もその思いは消えずにどんどん強くなっていった。

日本の四季の移ろいをしみじみ噛み締めている余裕はもうないかもしれない。いくつかのまだ完成していない作品も急がないともう撮れないかもしれないという焦りも感じる。

そして完成して手放したはずの冬もきちんと記録し続けなくてはという気になってくる。

確実にこの2~3年で気候の変動が誰の目にも明らかになってきて、私たちを含め先送りしてきた大人たちにグレタじゃなくたって怒りが湧いてくるのは当然だ。

私にできることは、と震災の時に何度も何度も繰り返した問いをまた投げかける。


このwinterの展示のイベントで、映像プロデューサーの森田菜絵さんと中谷宇吉郎生誕120周年記念事業実行委員長であり北海道大学名誉教授の古川善純先生をお迎えしてトークショーを行った。

打ち合わせまでに一夜漬けのテスト勉強のように、私は雪の結晶や水と氷、結晶そのものの定義に始まり、地球の成り立ちまで科学的な側面を頭に叩きこんだ。

そして打ち合わせとトークを得てとても大切なことなんじゃないかということにたどりついたのだけれど、忘れてしまわないように覚書として書いておきたいと思う。


春や新緑の時期はとにかく全ての生き物の生命力が圧倒的すぎて、死や生を想像する隙間がないけれど、雪が降り積もって見渡す限り雪という、ある意味余白のある世界を目の前に私の空想癖は果てしなく広がり、思考は地面に埋もれているだろう私が会うことは叶わない遠い遠い時代の祖先たちを思い描く。

打ち合わせで古川先生が氷河期の話をしてくれた。地球は誕生以来何度かの氷河期を得てその中を生き残ったごくわずかな生物が爆発的な進化を遂げて現在のような豊かな地球が出来上がったという。私がいつも雪に導かれる理由の一つにルーツが関係しているのではないかと考え続けて来たけれど、このことなのかもしれないなとはっとした。

例えば父方の家系にロシアの血が流れているかもしれないとか、祖母が北海道の釧路生まれとか、そういった触れられそうな事実ではなく、どこかとても大きな長い流れの中に生まれては消えていった生命を私は雪の中で感じている。否応なしに北へ、雪へと私を導いているなんともし難い衝動は、もしかしたらその氷河期の時代の記憶がDNAに刻まれて導かれていてもおかしくないなと、古川先生の話を聞きながら妄想かもしれないけれど私自身はやけに納得した気がする。

私が今ここに生きているということは、何万年も前のヒトの起源のはるか昔まで確実に繋がっているという事実。そしてその全ての痕跡はきっと私たちが立つ地面に刻まれているはずなのだ。



私の父は大学で海洋の研究をしていた。典型的な研究者といった感じの頑固な変わり者で勉強が趣味、家で話すことはほとんどなく、人付き合いも苦手だった。

ここしばらく私は科学漬けになっていたけれど、高校で文系に進んで以来、数学科学は勉強していなかった。今思えば早くに文系を選んだのは父親に対して反発の意味もあったかもしれない。


今回リサーチをしていた時に、低温科学や氷雪学を調べて行くと当然ながら南極に行き着く。そこで私は再びあの氷のことを思い出すことになった。

私が幼い頃、父は長期にわたり大学の調査で船に乗って南極海域に行き、その土産に持って帰った南極海の氷の塊が家の冷凍庫に入っていた。現在のような大きな冷凍庫ではなく、霜がばりばり張り付いているような冷凍庫にしばらく長いことその氷は保管されていた。これでウィスキーを飲むとうまいらしい、と一滴も酒の飲めない父の言葉とともに、冷蔵庫を開けるたびにたたずむその塊の存在は私の頭にしっかりと刻まれていたのだろう。

あれほど父というか家そのものから遠ざかろうとしていたはずが、この2月私はぐるっと一周してまたそこに戻ってきてしまった。

中谷宇吉郎博士を通して菜絵ちゃんや古川先生が、過去に雪の撮影をしている時にちらりちらりと何度かすれ違っていたのが今回判明したことも含めて、こういった人生の中でばらばらにちらばったピースの切れ端がきちんと形をなすという時がたまにある。そんな時はきっと物事が正しい方向へ進んでいっているのだろうと思う。




ここまで書き、時間を置いているうちにコロナの渦に世界中が一変する。

この文章を書いたのはそんな前のことではないはずなのに随分かけ離れたところにたどり着いた気分だ。

この状況が終息したあとの世界はどんな風になっていくのだろう。

東北の震災直後に日本は良い方向に変われるかもしれない、とナイーブにも思った自分が馬鹿らしく思えるくらい、そのあとの世の中は真逆の方向へ舵を切った。それでも少なくない数の人たちが新たな価値観を見出したし、今回のことも多分そうなるのだろう。


6月に入り息子の保育園も試運転ながら始まり、長い間仕舞い込んでいた父方の祖父の自伝をようやく紐解く。大正ロマンを生きた祖父が自伝のような物を書いていたのを知ったのは葬式の後だ。旧文字が多く個性的な筆跡に加え170ページという量でとても読みきれる気がしなくて今まで手を着けずにここまで来た。

旧作の展示が二つ重なり、前述の古川先生との話もあり、ルーツに関してもっと掘り下げて考える方向へ背中を押されているようで、仕舞い込んでいた父から渡された自伝のコピーを開く。

読んでみようと思う、と父に連絡すると、数日後に手書きの家系図とともに、ミトコンドリアDNAがまだ解明され始めて間もない頃に書かれた科学者の本が2冊届いた。

この覚書に書いた私の漠然としたルーツの感覚を裏付けるような内容で、祖父の書とともに並行して読んでいるのだけれどこれがとても面白い。

そして今差別の運動が激しくなっている中でこの本を読み始めたことに何かの符号を感じたりもする。

ここでもまたピースの断片が一つはまっていっているのだろう。


初めに思っていたよりも壮大な物語に足を踏み入れてしまい、果たして写真を通してどんな方向へ変換していくのか全く見えていない。でもまぁいずれはどこかに着地するだろうし今はとにかく進めていこうと思う。



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