fujitaharuka
photographs
sep.2013 tokyo
常に何かに対する怒りはあるけれど、もう何年もこんなに激しい怒りを感じたことはない。
震災後たくさんのどこにも救いのない話を聞いた。
どの話もひとつ残らず自分の中にある。
今の私には写真にしろ言葉にしろそれらを表現することができないけれど、いつか少しずつと思いしっかり蓋をして全部自分の奥深い所にしまってある。
しまっておかないと普通に生活していくのが難しい。
それはたぶん今の東北の多くの人がそうなんじゃないかとも思う。
オリンピックの知らせで、それらの蓋が凄い勢いで次々に開いてしまった感じだった。
全てを失っていまだにどこにも行けない人々の。
怒りはいつも自分が表現する際にある種のエネルギーとして働いたりするけれど、これには自分でも手が付けられなくて冷静にと言い聞かせ何日か過ごす。
怒りの力は何かしらの反動をもってはね返ったりするのが怖いところだ。
先日、知人ががんの宣告を受け集まれるうちにと呼ばれて仙台に帰った。
今年に入って仙台に帰るたびに訃報を聞くことが続いている。
死は頭の中に降り積もったままだ。
現在も東北では生と死がおそろしいくらいに近くにある。
そしてそれでも私たちは死ぬまでは生きているという当たり前のことを何度も確かめる。
aug. 2013 tokyo
庭で見る花火。音と炸裂する花火にライブのような高揚感。
sep. 2013 tokyo
写真集のための文章をひねり出さなければいけないのに当たり前だけど啓示は降りてこず。だから写真なんだよと開き直ってみたのも無駄なあがき。机の前の網戸には行方不明だったやもりを発見。昨日はかまきりがへばりついていた。机の前に座ってただ時が流れて行くのみの数日間。
oct. 2013 onahama
町全体を巻き込んですごいことになっていた小名浜本町通り芸術祭。いまだに消化できないくらい。
大森さんの展示も素晴らしかった。時間と場所でこんなに写真が変わるなんて。以前に見たときよりもぐっとくる。きっとこれからも見るたびに違った思いがあるんだろう。写真集をきちんと手元に置いておきたいと思い書店に注文。
oct. 2013 tokyo
ぼりちゃんと櫻の帰国祝い。あまりに濃すぎる面子で会話が成り立っているようで成り立たず。
oct. 2013 tokyo
motomoto事務所で写真集の色校正。ぎりぎりになって表紙を変えるという作業にも気持ちよく色々提案してくれる坂本さん。
oct. 2013 tokyo
昨年まで至る所が浸食されていく気がして苦々しい気持ちで見ていたセイタカアワダチソウ。今年はその数が減ったなと思い調べてみると意外な一面があることを知る。まるでナウシカの腐海のようだ。そして自家中毒で自滅するという運命。自然界の成り立ちのバランスの妙。
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