覚え書き2 海を渡る

果てしなく遠いルーツはまず横に置いておこう。 まずは身近な祖先から。 触れられそうなルーツも、もうすでに多くは失われているし話が聞けそうな数少ない親戚たちももう高齢の域に入ろうとしている。 急がないと全ては闇の中に消えてしまうだろう。 祖父が自伝を書き残した、といってもそれだけが真実とは限らないと思っている。 物を作る側にいれば容易に想像がつくけれど、書かれていることが全てではないし、むしろ書かれていないことの方が重要だったりもする。その影に隠れているもの。 祖父は佐賀県の唐津に生まれ、曽祖父が営んでいた商売が立ち行かず一家で宮崎の延岡市に移る。20代前半、戦前に単身で満洲に渡り、祖母に出会い結婚。 祖母はまだ10代で北海道の釧路から一人で満洲へ渡っている。 私の叔母である父の姉と父は満洲で生まれた。 その後戦争のために祖母は一人幼い二人の子供を連れて、北海道から宮城に疎開していた一族の元に身を寄せることになる。 この辺りまでが叔母から聞いていた私の知る父方の家系のざっくりした流れだ。 祖父の母方に外国人の混じっているということも含めてやけに移動の多い家系。 父は帰国後はずっと仙台にいるけれど、海洋学を研究していたのでしょっちゅうどこかへ行っていた。 私自身もイギリスに住んでみたり、一時期ほんの少しだけ北海道に部屋を借りて東京と行き来していたこともある。引越しも多く20回くらいはしている。 なぜ私たちは常に海を渡り流れ続けているんだろう。 祖父が若かった当時は数多くの日本人が満洲へと渡っていった。 そして第二次世界大戦。 現代を生きていると自分たちと全く関係のない話のように聞こ

覚え書き

2019年の12月、展示の準備をしている時に、あぁ、もしかしたらこれから先雪が美しいなんて言えない時代が来るかもな、ということが頭をよぎった。雪が綺麗だなんて思う最後の世代になってしまうかもと。 展示会場で設営している時も、展示中もその思いは消えずにどんどん強くなっていった。 日本の四季の移ろいをしみじみ噛み締めている余裕はもうないかもしれない。いくつかのまだ完成していない作品も急がないともう撮れないかもしれないという焦りも感じる。 そして完成して手放したはずの冬もきちんと記録し続けなくてはという気になってくる。 確実にこの2~3年で気候の変動が誰の目にも明らかになってきて、私たちを含め先送りしてきた大人たちにグレタじゃなくたって怒りが湧いてくるのは当然だ。 私にできることは、と震災の時に何度も何度も繰り返した問いをまた投げかける。 このwinterの展示のイベントで、映像プロデューサーの森田菜絵さんと中谷宇吉郎生誕120周年記念事業実行委員長であり北海道大学名誉教授の古川善純先生をお迎えしてトークショーを行った。 打ち合わせまでに一夜漬けのテスト勉強のように、私は雪の結晶や水と氷、結晶そのものの定義に始まり、地球の成り立ちまで科学的な側面を頭に叩きこんだ。 そして打ち合わせとトークを得てとても大切なことなんじゃないかということにたどりついたのだけれど、忘れてしまわないように覚書として書いておきたいと思う。 春や新緑の時期はとにかく全ての生き物の生命力が圧倒的すぎて、死や生を想像する隙間がないけれど、雪が降り積もって見渡す限り雪という、ある意味余白のある世界を目の前に私の空想癖

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